隣組の歴史

隣組は1975年に、バンクーバー・ダウンタウン・イーストサイドの簡易宿泊施設に住んでいた日系一世の人々の生活を向上させることを目的として設立されました。

第二次世界大戦中の長期にわたる強制収容所生活の影響で、日系人が直面する困難は増える一方でした。 1942年にバンクーバーに住んでいた日系人は、強制的に家も仕事も取り上げられ、カナダ内陸部の労働キャンプに収容されました。強制収容所から解放された後、生活を再開するということは多くの人たちにとって、たいへんに困難なものでした。そして戦後数年経った後、多くの日系一世の人たちはバンクーバーへ戻ってきました。

浜田淳氏 1977年、100周年の桜の記念植樹

1973年から1974年には、浜田淳氏と4人の日系の若者たちは地元の日系コミュニティと連邦政府のプログラムの支援により「隣組」の基礎を築き、Downtown Eastside Residents Association(DERA ダウンタウン東部住民協会)から提供されたオフィスにて訪問プログラムのなどの活動を行い、一世シニアとの絆を深めていきました。やがて連邦政府からの補助金が底をついて活動が停止した後、浜田淳氏と山城猛夫氏が市や州政府そしてユナイテッドウェイから資金を調達して活動を再開しました。1975年には「Japanese Community Volunteers Association」という名前のもと、イーストヘイスティングス通り573番地にドロップイン・センターを開きました。現在ある多くのプログラムやサービスがこの時にできたものです。

1977年には、日本人がカナダに移住し始めてから100周年を記念する年となり、全国的に多くの日系カナダ人たちがこの年を祝いました。全国日系カナダ人移民100周年プロジェクトの「A Dream of Riches」、パウエルストリート祭の開催、パウエル・グランドにおける桜の記念植樹や、全国オドリ(日本舞踊)ツアーのBC内陸部への遠征など、数々の記念行事が行われ、これを機に、日系一世シニアの手によって隣組が発展することになりました。
これらのプロジェクトやイベントを通して日系三世の若者や日本からの新移住者が、パイオニアであるシニアたちと協調してわれわれの伝統や文化価値の意識を新たにすることにより、コミュニティの基盤と資源を作り上げることになりました。このことが、第二次世界大戦中とその後の日系カナダ人への処遇問題について、「誤っている事」を正すという社会的正義の感覚を養う役割を果たしたといえます。全国日系カナダ人移民100周年プロジェクト(「A Dream of Riches」の製作主)は本の販売による収益をリドレス活動に充て、早速、1982年に一連のパブリックフォーラムの活動を開始しました。隣組はこのリドレス活動においてきわめて重要なパートナーとなり、1988年に連邦政府と解決合意にいたるまでの間、奮闘してきました。

そして1986年にはパウエル通り378番地に移転し、日系高齢者住宅協会とシニア住宅プロジェクト「さくら荘」とより身近に活動できるようになりました。その後2000年に、現在のイーストブロードウェイ通り511番地に移転しました。

1995年、隣組設立20周年を祝う会が開かれ、多数の地元日系カナダ人コミュニティの人々をはじめ当時のBC州首相のマイク・ハーコート(Mike Harcourt)氏、リビー・デイビス(Libby Davies)氏などからお祝いのスピーチを頂きました。この祝賀会は隣組の20周年の記念であると同時に、日系カナダ人社会に果たした役割がどれだけのものであったかを反映し、コミュニティから感謝の意を表して頂いた機会ともなりました。

近年(2008~2009年)、オッペンハイマー公園(旧“パウエル・グランド”)に記念植樹された桜の樹木が、市による公園の再開発のため撤去の危機にさらされました。隣組とその他の日系カナダ人コミュニティグループや個人有志たちが集まりコミュニティ連合を結成し、市役所職員や公園事務局、近隣住民、その他の団体など関係者に、これらの桜の樹が日系一世シニアから受け継いだ遺産であり、文化的、歴史的記念物として意義あるものであると伝えました。すべての樹を救うことはできませんでしたが、大多数の桜が残り、これらの樹は日系一世に敬意をたたえるものとして新フィールドハウスにおいて記念される予定です。また受賞歴のある映画監督オオハマ・リンダ氏の手によって、公園内で移植された桜の樹の物語をつづった「サクラ・サクラ」と「春はあけぼの」という二つの短編映画が作成されました。

隣組は各種援助が必要なコミュニティの人々が立ち寄ることができ、また様々なプログラムに参加できる場を提供しています。また、長年にわたり隣組は、パウエルストリート祭協会や、日系カナダ人リドレス・ムーブメントなどの日系団体の会合の場として利用されてきました。

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